圏論から漂う"強キャラ"感
はじめに
みなさんこんにちは,けろりんです.最近(可換環論もろくにやらないまま)「圏論の技法」を買ってちょっとだけ読んでみたのですが,"圏論半端ないって!"と感じるところがあったので記事にしてみたいと思います.なおまだプログラミング言語でいう"Hello World"にあたるようなところしか読んでいませんので,大半が私の感想になります.
圏の定義について
圏の定義を見てみましょう.
圏とは,以下のようなものをいう.
(1) の対象と呼ばれるもの全体が与えられている.
(2)の任意の二つの対象の間に,からへの射の集合が与えられている.射は以下の二つの性質を満たす.
(i)二つの射がのように続いている時,これらの合成が与えられ,結合則を満たす. (ii)の任意の対象に対して,恒等射と呼ばれる射がひとつずつ与えられており,合成に対して単位元的にふるまう.
エ、ナニコレイミワカンナイ!?なんと対象に対して元を取る操作が許されていないのです.つまりある集合とその上の写像を圏とみなす場合,その集合がどういうものが集められたものなのか,ということは無視されてしまうのです.それって,魂を抜かれたも同然だろという気分になってしまいます.ですが,この"抽象 of the worldみ"が圏論の強そうなところでもあるのです.
この性質を考えると,前回の記事
準同型と普遍性 - けろりんの数学ブログにて散々分からないと嘆いていた"普遍性"についても若干の理解が得られるような気がします.
射と対象のみしか議論の対象とならない圏論においてある物事を定義しようとしたときに,射が対象についてどう振る舞うかを定めることでしか定義のしようがないのです.考える対象を固定して(可換環,群など)概念(積など)を定義するのではなくて,その概念そのものがどういうものなのかを定義してやろう,というのが圏論での定義,になるのかな,などと思いました.(めっちゃ強そう...)
おわりに
短い記事になってしまいましたね...最後までお読みいただきありがとうございました.